新幹線での出来事

最近は物騒な世の中になりましたね。先日、熊本―新八代駅間の新幹線内で、火をつけて大騒ぎになった事件がありました。新幹線や飛行機といった閉ざされた空間で異変がおこると、急に止まることはできないのでやっかいなことになります。
また、突然体の不調を訴えられても、困ったことになります。もちろん新幹線や飛行機にはこれといった医療器具や医療品はありませんから。
「急変したお客様がおられますので、お医者様がおられましたら○○○までお越しください・・・」
私はこれまでに新幹線内で二回、飛行機内で一回、このような類いのアナウンスに遭遇したことがあります。そのうちの一つについてご紹介します。
 かれこれ五~六年以上前になるでしょうか、学会の帰りで京都から新幹線に乗りました。私の席は十六両目でした。一番端の車両です。。新大阪駅に到着直前に、次のようなアナウンスが流れました。
「急変したお客様がおられますので、お医者様がご乗車されていましたら、一両目までお越しください・・・」
新幹線の一両目も一番端の車両なので、私は端から端の車両まで小走りで向かいました。
 現場にたどり着くと、すでに四~五人のドクターが群がっていました。よく見えなかったので、群れの後ろの方で背伸びをして中を見ようとしました。すると私の前にいたドクターが突然振り向いて、
「先生の専門は何ですか?」
と聞かれたので、
「循環器です。」
と答えると、それまで険しい表情をしていたドクターの表情が急にほころび、中を見ろと言わんばかりに道を空け、私は自然に中の方に誘導されました。
 そこには初老の男性がぐったりした状態で背もたれを倒して横になっていました。
「大丈夫ですか?」
と言っても反応がなかったので、両肩を叩くと、
「うー・・・」
と目を開けることなく、微かなうめき声だけがありました。私はいつもの癖からか、その男性の橈骨動脈を触れていました。脈は触れるのですが、なんとなく弱くて速く、しかもじとっと湿っているように感じました。男性の隣にはご立腹気味の奥様と思しき方がおられたので、どうしたのか尋ねてみると、
「この人は朝からご飯も食べずにビールばっかり飲んで・・・」
確かに窓際には開封された缶ビールが置いてありました。
『なんだ、単なるアルコール中毒か・・・』
と思ったのですが、
「普段から飲んでいる薬はありますか?」
とお聞きすると、
「朝からインスリンを打つんですけど・・・」
「今朝は打ちましたか?」
「本人が管理しているので、今朝は打ったかどうかわからない・・・」
との答えあり。
『ふーん。糖尿病でアルコール中毒か・・・ええっ、これってやばいんじゃない???』
私は急に慌て始めました。私の横には心配しながらも、酔っ払いの男性にややあきれ気味の車掌さんが立っていました。新幹線はちょうど新大阪駅を出発したばかり。
『しまった・・・新大阪駅で降ろすべきだった・・・』
私は車掌さんにお願いしました。
「次は新神戸ですよね、十五分くらいかかりますよね、新神戸駅に救急車を用意するよう手配をお願いします。新神戸で降ろしますよ。」
私の唐突な発言に、車掌さんとその場にいた家族の表情が一変しました。車掌さんは慌てて車掌室に戻りました。私は家族に説明しました。
「単なるアルコール中毒ならいいのですが、朝ご飯食べずにインスリンを打ったのであればまずいです。低血糖状態かもしれません。」
もし低血糖であれば、はじめは倦怠感や手の震え、冷や汗などの自律神経症状があらわれるのですが、重症化すると意識消失や昏睡を起こし、命に関わる危険な状態に陥ることもあるからなのです。であれば・・・この男性の症状は・・・低血糖による症状としてぴったりあうのじゃないですか・・・
 病院であればまず採血を行って、低血糖を確認して、ブドウ糖の点滴を開始するのですが、ここは移動中の新幹線の中。医療用具など全くありません。新神戸駅につくまでの十五分間どうしましょう??? 私は家族にジュースを買ってくるように指示しました。そして男性の両肩をバンバン叩いて刺激を与え続けました。間もなくオレンジジュースが届きましたので、少しずつ男性の口に含ませながら肩を叩き続けました。新神戸駅に着く頃には何とか目が開くくらいまでには改善が見られました。
 新神戸駅で降ろされた後は、男性がどのような転帰をたどったのかわかりません。私としてはあのときの診断が正しかったのか知りたいところもあるのですが、まずは男性が無事であれば何よりです。
皆さん、飛行機や新幹線などの長時間に渡る乗り物に乗るときは、当たり前のことですがしっかり体調を整えておきましょう。